@黒歴史其のⅣ

ネタ切れか?ネタ切れだ。
2002年。あの年はワールドカップとかやってたな。俺はサッカー嫌いであったし、サッカーにマスコミが時間を割きすぎた所為で有事法案が国民の目にさほど触れることなく、するすると可決された。ベッカモというサッカー選手がフィーバーした。その熱狂振りを見て、わたしは「愚かな民どもめ…」と本気で思っていた。2002年。阪神は裏切り者の星野を擁し、次々とFA宣言した選手を掠め取っていった。そして、入団する選手は「(星野の)熱意に打たれた」とお約束のお言葉を泣きながら、会見で言っていた。いくら裏で渡されたんだよ。奴は巨人のやり口を否定する割には補強が大好きだった。そんなこともあってか無くてか久しぶりに開幕戦勝利。それだけに飽き足らず、快進撃を続け「逆転の阪神」と称された。しかし、予定通り下に落ちていった。新生山田ドラゴンズの開幕前の評価はカス同然であった。ボロクソだった。しかし、山田ドラゴンズは福留孝介の覚醒*1に成功し、戦力が整わない中2位と大健闘した。この年は巨人が日本一だった。シーズンオフはずっと胸糞が悪かった。
……
俺は一方通行の狭い道を走っていた。事実に気付いたからといって、進行方向は変えられない。事実を受け入れ、走り続けるしかなかった。俺一人で委員の仕事は出来ると思っていたが、それは間違っていた。俺一人でやったほうが多少なりとも上手くいくことに気付いた。短気な性格に加え、Aは若干足りなかった。学校では1時間の授業の評価というものがあり、5点満点でなぜかクラス全体が5を目指す風潮があった。もちろんわたくしは乗り気ではなかった。「個人の成績の仁義無き奪い合いの中で、雑魚に助け舟を出す必要など無い、寧ろ舟に火を放ってやる」と過激な考えを持っていた。クラスで授業評価5を取る風潮は目に見えて、大きくなってきた。そして、忘れ物など授業評価マイナスの要素の行動をしたものは「非国民」扱いだった。そして、「○○!挙手しろよ!」などと、段々連中が過敏になってきた。それはAにも及んだ。しかし挙手などできないだろう。なぜならば…。わたくしはクラス内で内紛が起きるのを待っていたのかも知れない。空中分解を望んでいたのかもしれない。こんなクラスなど、潰れてしまってもよかった。寧ろ、潰れた方が面白かった。俺は高みからの見物であった。わたくしはどんなに政府(クラス首脳部)に協力を要請されても、応じる気はしなかった。適当に返答していた。気分はいつまでも賛成派・反対派のどちらにつくのか、考えを発表しない政治家のドンの気分だった。「教え合い」という儀式で「全員挙手」を目指すというものもあった。社会の授業などでそういうのは最も大きかった。公民は得意分野で、他の連中の発表する意見を軽々と超越するものをするする出せた。ニューズ漬けの毎日を送っていたりしたからだ。中学の公民など、まったく問題ではなかった。というより、他の連中が時事に疎かったわけかもしれんが。班で、「○○って何?」と聞かれても、「僕、わかんない」とガキンチョっぽい声で応答して、俺は考えを広めようとはしなかった。でもしっかり、自分だけ挙手して、意見はちゃんと言った。きっと大顰蹙を買ったに違いない。
俺は野暮用で、放課後残っていた。そして、荷物を取りに行くため、クラスの教室へ戻った。教室にはB1人だった。俺はあることをふと思い出した。「(クラス全員に対して)お前らが、給食委員決める時、誰に投票したかが分かるようにまだ投票用紙持ってるから。」教師はそれをクラスの自分の机の1段目の引き出しに入れたのを見たことがある。ひょっとしたら、まだ入ってるかもしれない。わたくしの体は無意識に机に向かっていた。引き出しに手を掛けると、一気に引いた。投票用紙は入っていた。Bに「何やってんだ?」と聞かれ、わたくしは「俺を嵌めた奴を調べる」と吐き捨てた。今考えると逆恨みみたいなものだったけれど、委員をやらされるだけでなく、「劣悪な労働条件」で授業を受けることなど、沸々と怒りがこみ上げてきていた。Bは「『秘密選挙』だろうが」と言ったが、「『知る権利』がある筈だ」と応戦した。俺の名前は少々複雑怪奇な漢字が用いてあった。俺の名をフルネーム・オール漢字で書ききるものは数えるほども居なかった。途中に平仮名が入っていたりした。わたくしはハッハッハッハッ…と高笑いをしながらBにギャグで言った。「名前が正しく書かれていない以上、すべて無効票だな。現在の日本の選挙制度ではそうなりますな。」

*1:この年から外野手専門に転向。強肩を生かして、捕殺を量産した。また打者としても活躍し、首位打者を獲得。松井の三冠王を阻止。山田久志の残した遺産の1人である。